これまでバイトやら社員やらやってきた中で、今のが最長です。
10ヶ月なんとか続いた、お茶の水にあった、たしか日大歯科病院だったかの中に入ってた食堂のようなところで長靴を履き走り回ってた、そこの北海道出身で婿養子である店長の口癖が、男は鉄砲玉だからなー、だったところの過去最長が、
今のは、1年半になろうと。
かなり感慨深い。
しんぼるを観てから、
松っちゃんがらみで改めていろいろ考えることが増えてる。
こう言ってしまうと元も子も無いけど、
松っちゃんは、そこまでとてつもなくものすごい人では無いです。
松っちゃん自身もほんとのところはそう思ってる、と思う。
今の笑いが、松っちゃんの笑いこそ、ってなってるからそう思わされるだけ。
それをもとにシステムができてるから。
ごっつ、ガキ、トークや司会側で出てる番組、ビジュアルバム、映画は好きだけど、
一人ごっつらへんのは、あまり好きじゃない。
あのへんは閉鎖的過ぎる。
けど、あのへんをやることで、意図していたかは疑問だけど、結果的に松っちゃんの笑いをパーツパーツに分けてみんなにわかりやすく伝えることになった。
それがここ数年の笑いのベースになってる。
このところずーっと、ごく一部を除いて関西から出てくる人達は、松っちゃんのある部分をピックアップしてそこに焦点をあてて、さも自分が考えました。って人達が多い。その人達は、自分達ですらそのことに気がついてない感じ。ソレ松っちゃんが前にやってた、ってのがほんと多い。
で、
ソレ松っちゃんが前にやってた、ってところがミソで、
ソレを松っちゃんがやる以前にもソレをやってた人は当然いたはず。
なのに、松っちゃんがやってた、となってしまうところが、今の松っちゃんの力。
影響力というか、浸透力というか、実績というか。
ピカソの人生をそんなには詳しく知らないけど、
ピカソって、10代でもうすでに写実的な表現力がとんでもなく優れてたそう。
本に載ってたのをみると、とにかくうまかった。
そのピカソが、とんでもなくうまかった写実的な表現から、
キュビズムとかなんとかいうあんな感じに変わったら、
みんなは、あれ?ということは見たのを忠実に描いたりするよりソッチのほうがすげーのか?ひょっとしてそうなのか??となる、はず。
ほんとにそうなったのかは知らないけど、
革命児とか大天才とか言われるような人達は、少なからずなんかしらのそういった仕掛けをやってる。
その為には、みんながわかるようなのじゃ全然ダメで、かといって全く理解されないのもダメ。
すっごいびみょーな、そんなところがあったのか!?ってところをつかないとダメ。
みんながわからないように、ときには規則的にあるときには不規則に。
わかるように、あるときはフォーマットを利用し独自色を出し過ぎないようにバランスをとる。
それらをやれるのは常にまわりへアンテナを張ってるから。
悪い意味じゃなく、人の顔色を伺ってるから。
じゃないと効果的なやり方で的確なタイミングで、仕掛けをやれるわけが無い。
だからこそ、天然じゃあそこまで行くのは無理なんだと思う。
よく、この絵、には物語がある。
と聞く度に、そんな絵、はつまらない。と思う。
物語が込められた絵より、それを観た人それぞれが自分だけの物語を喚起させられるような絵に、魅力を感じます。
この曲がかかる原チャで変電所に行くシーンが、大日本人で一番好きなところ。
処刑人の、ケルトっぽい音楽がかかってる頭から10分くらいまでのところ、もかなりいい。

